- 動画
- テレビ
- 文章
- いかなる写真でも発信
- Twitterのつぶやきが記事になる
- Googleダブルヘッダーで攻めたほうが早い
- 動画を撮りっぱなしにしておくと写真を撮る必要がなくなる
- 時系列で写真が思い出し考えやすい
- 記憶の思考回路を簡単に表現できるように動画を撮ってその中から写真を抜く
動画
動画に関しては筋書きのないストーリーを求めている
つまり編集せずにそのまま答えが見えない動画が面白い
YouTubeでアップロードされている多くの動画は、編集してカットしたり音楽や文字を挿入したりといろいろ工夫している
それはそれでおもしろい
動画はやはり一発勝負で撮り直しなしで失敗NGが生まれるから、リアリティがあると考えている
テレビがなんで面白くないかという理由に続く
テレビ
テレビは20年以上ぐらい前から見なくなった
テレビにリアリティが感じられなが一番の理由
入ってくる情報がノイズに感じる
テレビ自体が作られた構成であるというのが嫌なんだ
民放で行う以上はハメを外せない部分もあるが、テレビで流れる情報はインターネットの普及によって遅くなった
スマホでニュースがわかるようになりテレビを見なくなった人が一番多いのでは?
テレビのジャンルに入るかは微妙だがAbemaTVは面白い
YouTubeに近い感じで筋書きがなく、民放で放送できないことを放送しようとしている
規制されずに好きなことをやっているのが面白く見えるんだ
動画に求めるのはやはり編集なし一発で生放送するから、格好悪いところや失敗した結果もさらけ出すことになる
構成を考えない自然な動作が面白い
動画は想像空想なしで、人生そのままを垣間見たいのが求めている表現方法
文章
文章やマンガに関しては逆で、最初にびしっとタイトルを決めて答えも用意された物語の中身を、思考回路によって濃厚に仕上がると考える
漫画として考えても、ドラゴンボールが面白いのは強くなる過程に尽きる
文章に関しても一緒で自分の常識外の発想に出会うのが楽しい
文書は物語を考えて答えを決めて書いているのに、テレビや動画はなんで答えを決めて編集したものが面白くないと自分には受け入れられないのだろう?
文字と映像の違いと素人の参入と考える
ブログに代表される文書表現は、ブログの普及によって素人の参加難易度が一気に下った
動画も一緒でテレビ局しか放送してなかった時代から、動画配信サイトからの投稿が素人でも行えるようになり、参加者の敷居が下がった
素人は自分を含めた言い方で、参加者が増えすぎたことにより決まった型がドンドン崩れていった
特に配信難易度の高かったテレビ放送は、動画配信の普及でフォーマットがなくなった
文章は自分の思考回路の表れで考えたことしか表現できない
動画は視聴者の情報や結果を提出するより、規制のない表現が見たい
文章や漫画は考えたことしか表現できないだけでなく、文章としての表現範囲に規制がない
テレビは表現範囲に規制があるが、動画配信はプラットフォームの規則以外は表現が自由
動画は参加者に素人が増えたことにより表現の規則のリミッターが解除され、個人とメディアに逆転現象が起こったと考えている
文章だけ動画だけでなく二つのアウトプットを融合させたほうが早いと考えて動画を考察する
いかなる写真でも発信
理由はブログを書く時に文章しかない記事でも、アイキャッチを自分の写真から選択できる
第一印象は肝心で興味のある写真であるとクリックしてしまう
本来は中身つまり文章であるが、ビジュアルを利用した世界で通用するプラットフォームは写真サーバー代わりに利用しない手はない
タイトルと内容をアピールできる写真がないときはFlickrを利用している
自分で写真を撮ることにより、アウトプットを意識した写真のクオリティが上がってくる
Instagramは英語圏向けのSNSと理解しているから英語の勉強にもなる
遊んで勉強できて最高だ
写真を挿れる最大のメリットは文章が読みやすい
行間が詰まることなく、いたるところに関連した写真があれば文章と写真の相乗効果で理解しやすい
実際にいろんな記事を読んでみた感想からフィードバックしてみた
写真とタイトルで何が言いたいかがわかると、あとは興味と情報の対象にあるかだけ
動画は写真の100倍、写真は文章の100倍の印象は前職の社長の言葉
これだけは痛烈に覚えている
Twitterのつぶやきが記事になる
手抜きと思われるかもしれないが、140文字以内のつぶやきは思考回路の表れで10回ブツブツ言うと1,000文字以上になる
考えて発した言葉は記事にして、ブログに埋め込んでありとあらゆる手段を利用する
自分の言葉にもっと貪欲になって、表現方法の変換ができないかを考える
馬券の世界では予想が上手いやつより買い方が上手いやつが儲かる
Twitterは記憶の断片の記録として利用していて、忘れないためのメモの存在である
自分が忘れたくない記憶のためにInternetを利用して、日本からアメリカのサーバーに無駄な時間を経由して発信している
特に酔っぱらった時のツイート率が多く意味わからんこと言っているけど、基本的に本音でしゃべっているから記録の断片として残したいのがTweetの狙い
時には特定の個人に向けて喋ることもある
世界の目に触れることによって、自分の意見をヒリつかせて責任をもたせて間違いと感じたら訂正する
プライドがないからコロコロと前言を撤回する
他人の斬新な意見は素直に考えて取り入れたほうが早い
Googleダブルヘッダーで攻めたほうが早い
当たり前の考えだがブログが中心なら、様々なプラットホームからブログへ融合させた方が早いと考えるの必然だ
特に簡単にマネタイズできるYouTubeとブログのGoogle連動を行うべきだと主張したい
ブログへのYouTube埋め込みが問題なのは、記事自体の重みが増して逆に足を引っ張るケースがある
さらにYouTubeの動画は自主的に押してもらわないと再生されない
GIFの埋め込み動画によって動画は押してみるものではなく、自然に流れてくるものにしたい
アメリカのBuzzFeeddで見かけてからお気に入りで、タイトルと動画だけで記事の内容が非常に理解できて読みたくなる
動かない動画はアイキャッチにもならないから、逆に足かせなるのではと考えている
例えば20分の動画をかいつまんで、いいところだけを10秒に圧縮したGIFで埋め込むことを考えている
後追い感は否めないが動画と文章の融合は行ったほうがいい
自分が見ていて直感で理解できるものはドンドン取り込みたい
動画を撮りっぱなしにしておくと写真を撮る必要がなくなる
ウェアラブルカメラを取りっぱなしにして、編集した時に気付いた
目線アングルであるし、個人が特定される場所であるとモザイクの量が増えて難しいが、編集を考えずに動画を撮りっぱなしにしても編集でどうにでも出来るから、とりあえずとっておいて後から見て考えればいい
動画を撮っていないほうがデメリットで、撮りっぱなしはメリットしかないと動画撮影から感じた
片手を必要とするハンディカムやスマホで動画を撮ると、片手が塞がって行動に限界を感じるが、ウェアラブルカメラであれば両手両足自由で、普段の生活のまま行動することができる
自分目線で撮ったものであるが、著作権を侵害するところだけカットすれば十分に成り立つことを感じた
そしてその動画の中から時系列で写真を拾う
時系列で写真が思い出し考えやすい
時系列で拾った写真は記憶の断片を辿って文章化することができる
旅行やアウトドアといった時系列のイベントに参加すると、写真がタイトルになって文章化しやすいメリットが生まれる
これは実践自分がやってみて感じたんだ
記憶の思考回路を簡単に表現できるように動画を撮ってその中から写真を抜く
アウトプットが多すぎて対応できていない自分がいるが楽しいものは仕方がないので永遠の夏休みに入った今を楽しんでいる