久しぶりに意味のない無駄なドライブをした そんな事はどうでもよくてそこから感じたことが1つある
土曜の夕方と言うこともあり、渋滞と言う奴にハマってみた、いやハマった
多くの人は、車の運転で車間距離が詰まったり、ブレーキやアクセルワークを求められに感じるのがストレスだと思う
感じたことをストレスと仮説して原因を探ってみた さらっと考えたのが、自分と周りがペースが違う 渋滞にハマっても、渋滞のペースが自分のペースならストレスを感じない、と考えてみた もちろん渋滞のペースで走るなら自転車レベルのスピードになると思う
渋滞の中を自転車が走るのは、多分ストレスを感じない なるほど、ある程度は理にかなっていると考え、もう少し他のことに置き換えてみた
仕事でペースが合わないって、ちょっとおかしいかもしれないけど、自分のペースと周りの人の仕事のペースが合ってる人って、いないのでは?
サボる人、すぐやる人、無駄なことばっかしてる人、時間まで居れば良い人、残業早出バリバリの人、こう書くと様々なペースがあるじゃないか
残業早出バリバリの人と、時間まで居れば良い人とペースが合うとは考えられない これがいわゆる仕事上のストレスじゃないかと感じた
自分が目の病気になってから、自分に何がストレスがあったのかも考えた
自分は時間を短縮して速攻で仕上げて、会社を帰宅したい方針だった そんな自分を、周りの期待と言う名のペースが、自分にあっていなかったのではないか?と今日の渋滞にハマって思った
こう考えると自分って、本当に社会不適合者に思えた ネガティブに感じているのではなく、不特定多数の人間が集まりペースを合わせることが、難しいよなぁって考えて次に進む
ある程度同じ意識の中の共同体にいれば、自分とペースがそれほどずれることがない 今の自分で言えば、あくなく探究心がある個人事業主の競い合い ここで感じるのはペースが合わないストレスではなく、ペースをあわせるために追いつきたい、新しいおもちゃを手に入れた、ワクワク感だけが存在している ここでは、自分の思考回路が具体的にできていないから、伝えるのが今は難しいと言っておく
恋人や家族とはペースが合う いや、家族はペースを合わせている瞬間もあるかもしれない これは気になる人にも、ペースを合わせる瞬間が多く増えると思う
それってだろうなんでだろう?って考えたら、気になる人のそばにいたいし、いてほしいから自分がペースを合わせる瞬間がストレスがなくなる
なんかこの言葉ですっきりした いつも理屈じゃない、でまとめるけど自分が理屈じゃない人には自分からペースを合わせる ということは、ペースを合わせたい人にはストレスにならない じゃあ、仕事でペースを合わせたい人ってどんな人だろう? この問題は仕事でペースを合わせるだけでなく、会社にペースがあっているかに問題がある 自分の例で言えば、おばあの介護をしたいし、英語学習もしたい
ああこれで納得した 仕事のペースが問題というより、自分と会社がペースを合っているかが問題なんだ これで、しっくりきたと思う 自分のやりたいことと会社のやりたいことが、ペースと言う名で同期していないから、ストレスを感じるんだ
恋人やかけがえのない人とペースを合わせるのは、永遠に離れたくないとアクセルとブレーキを調整してペースを合わせるてことを書きたかったのに、別のベクトルが働き、会社と自分がペース合わない理由が解明されてしまいました
私とあいつがペースが合うのは、お互いにアクセルを踏みまくっているのでしょう
表裏隠さずに言いたいこと言って、それでもお互いが必要とし少なくとも自分はあいつがいなくなったら、号泣する自分を想像しています そんな思いが伝わっているのかいないのかわかりませんが、お互いのアクセルとブレーキはバラバラで、ペースはぐちゃぐちゃに他人からみえます
でもお互いが必ず来てくれる、絶対に行きたい、そう思った瞬間だけはがっちりとペースがあっています かけがえのない瞬間だけペースがあえば、それはストレスにならなく、それ以外のペースの合わない瞬間が笑い話になるので、またかけがえのない瞬間という名のペースになります
無駄なドライブからの学びがありました