個性的な仕事は日本のレールから外れて社会不適合者の穴にあるよ

現在の日本社会はほんとうになんだか自分にとってとても住みにくい社会になっていて、自分みたいな人間にはとてもおもしろくもないと思っている。

 

私は大学を卒業して普通の会社にWEBマスターとして就職したが、その会社では自分の扱いがとてもひどく、奉仕残業は当たり前で自分のやりたいことなどまるで出来ない環境だった。

 

私は学生時代からインターネットが大好きで、ネットを利用して小遣い稼ぎしたりとても楽しい時間を過ごしていた。大学時代には1日2時間ほどの副業で月に20万円ほど稼いだこともあった。

 

そんな自分なので、自分次第でいくらでもお金を稼げることを知り、会社に入っても自分のやりたい仕事をしながら自由気ままに社会人生活を送れるものと思っていたのだ。

 

しかしそんな甘い社会はなく、社会人になって会社の面白くない仕事を永遠とやらされ、こちらが仕事に関して意見を言ったり提案をしてもまったく上司の人間は聞く耳を持っていない。

 

こんな会社なら私はいつもでもやめてやる覚悟だ。しかし私の両親は私が無事に会社の入社しまじめに働いていると思っているようで、本当にこのまま社会からドロップアウトしたら親に対して申し訳がない。

 

会社をやめても1人でフリーランスとして活動できるかどうかはまったくわからないので、なんとか先の目標や理想を決定してから会社を辞めてやろうと思っている。

今日も会社の月末の飲み会があるが、本当にくだらない上司と一緒にお酒を呑むほど無駄な時間はないと考えている。

上司はお酒を飲み始める前はそれなりの人間であるが、お酒が回り始めると本当に自分を部下だと見下げ始め、いらない説教などを何時間もしてくる人間だ。

こんなくだらない時間で自分のプライベート時間が犯されるのはたまったものではない。

今日の飲み会でなんとか退職の方向に持っていくように上司に話してみようと思う。

上司が反対しても自分の考えは決まっているのでまったく影響されることもない。

私はそれから数日後上司に退職の意向を伝え会社を去った。

 

それから私は喫茶店に入り、今後の計画を練った。自分がどのようにして今後インターネットのスキルを利用して食べていくのかがとても不安はあったので、フリーランスとして何をやっていくのか迷いが大きかったのである。

私はホームページ制作とブログ制作、ライター作業が出来るので、私はSOHOとして自宅で開業する決意をした。

まずは仕事を取るためにフリーランスが集まるクラウドソーシングに複数登録を行い、自分に合った仕事が受注できるような体制を整えた。

クラウドソーシングは仕事発注者と仕事を個人で行う人間を結びつけている、個人にとったら神様みたいな存在であり、多くの個人やフリーランスが仕事をしている場所である。

 

私はまずはホームページ制作とライターの仕事で仕事を受ける用意をし、すぐに仕事を行うことになった。

ホームページの仕事は非常に仕事を取るのが難しく、なかなか自分の提案も受け入れてもらえなかったが、ライターの仕事は単価が安いのがネックであるが、それでも生活費を稼ぐことには問題はなかった。

私は久しぶりに大学に戻ったかのような自由を感じることが出来、本当に幸せな毎日を送ることが出来るようになった。

基本的に自分は夜型人間なので、仕事をする時間は毎日夜の8時から11時と決めていたので、自分の最もやりやすいような仕事のシステム作り、半ば趣味感覚で仕事をすることが出来た。

会社勤めの際には本当に毎日朝早くから夜遅くまで働いていたので、フリーランスとして独立をして、自分のやりたいように仕事をすることがこんなに幸せなことであるのか正直感動した次第である。

会社という組織は上下関係に束縛され、自分のやりたいように仕事が全く出来ないことから、ストレスが溜まるスピードが並大抵ではない。

私は会社時代に学生時代と比べストレスで暴飲暴食をしていたので、体重が20キロぐらい太っていたのである。

 

今ではお酒を飲む量もずいぶん少なくなり、本当に理想の体重に戻っていくような感覚だ。

私は40歳になるがまだ結婚していないので、自分の稼ぐお金はそれほど多くのお金を必要としていない。

サラリーマン時代には35万円ほどの月収があったが、現在は毎月15万円ほどの収入になっている。

しかし個人でお金を稼ぐということは、本当に自由で幸せであることから、私はたとえ収入が減っても、フリーランスとして味わえる自由のほうが大切だと実感している。

自分のやりたいような人生を送ることは男性にとって本当に幸福であることを私はあらためて実感した。

 

人間は大学を卒業したらサラリーマンになると日本では当たり前に言われていることであるが、海外では個人で起業をしたり、フリーランスやSOHOとして働く道もたくさんあると聞いている。

しかし日本では閉鎖的な社会であることから、サラリーマンにならなければ落ちこぼれであると多くの人が感じているように、本当に自由が極めて抑圧されている、そんな住みにくい社会なのだ。

私みたいな個人の考えが強い人間にとって、サラリーマン社会は本当に生きにくい社会であり、サラリーマンとして我慢して生きていくよりは個人で活動したほうが圧倒的に自由で気楽で人生を楽しむことが出来るようだ。

私の学生時代の友達などは、ほとんど企業に勤めていて私みたいなアウトローの生き方をしている人はめったにいない。

 

みんな30までに結婚をして子供を産んで、幸せな家庭を作っている。

私はそんな彼らを見て羨ましいと思ったことは何度もあるが、自分には自分らしい人生があり、それを他人と比べて自分が劣っていると劣等感を持つ必要はないと考えている。

私の両親などは私に早く結婚して欲しいといつも言っているが、私は結婚するつもりもなければ子供がほしいと思ったことは一度もない。

自分には自分らしい生き方があり、それは自分にしかわからないものであるとと納得している。両親には悪いが、私は私なりの幸福を追い求める権利があると自覚している。

現在ではクラウドソーシングというネット上のサイトで、定期的に仕事を受注することが出来るようになっていて、ほとんどお金に困ることはなくなっている。

 

私の理想は1日4時間労働を基本としており、月曜日に休日を設定している。サラリーマンの時には日曜日が休日であり、月曜日は仕事始めで地獄のような感覚を持っていた。

しかし現在は月曜日を休日にすることで、あのサラリーマン時代の地獄の月曜日ではなくなり、本当に最高の月曜日を送っている。

 

まだサラリーマンが働いている時に、1人で朝から温泉に入り、昼ごはんにかつ丼を食べるのが私の休日の過ごし方になっている。

そんな生活をしていると、本当に普通に働いる人よりも自分のほうが幸せだと納得することが出来、本当に良い気分だ。

両親や親戚、昔の古い友人は私のことをドロップアウトした人間であると思っているようだが、私はそんな人間ではなく、最高の自分らしい生き方を追求している道の人間だと自負している。

人間多くの数がいたらそれぞれ違った生き方をしていて当然であると思っているし、何も他人と同じような生き方をしなければいけないという制約はほとんどないと思っている。

 

これからは本当に自分らしさを追求しながら、自分が幸せになるような選択を人生の中でしていけたら良いと強く感じているところだ。

家庭で自分の理想だったインターネットの仕事をしていると、本当に自由に仕事ができて、どれだけ収入を得るのかは自分次第といった形である。

私はお金が余分に必要だと感じたら、1日の仕事を少し増やしたり調節をしながら本当に何でもやりたいように仕事ができている。

最近ではホームページ制作の仕事も順調に受注できるようになっていて、1ヶ月で2件のホームページを制作したらもう予定の収入を確保できるまでになった。

これほど幸せなことはなく、最近では仕事時間も徐々に減っていっていることから自由な時間が増えたような感覚がある。

 

またライターの仕事でも、自分のやりたい仕事を選択できるようになっていて、クラウドソーシングで本当に好き放題に仕事をしていることから、ほとんど仕事を受注する苦しみからも開放され、自由気ままなフリーランスの暮らしが板につくようになってきた。

最近では両親も私のことを許してくれるようになり、家族とも仲良く出来るようになってきた。

本当に仕事人間だった時には自分は家族のことなど顧みない愚かな人間だったが、今では両親と仲良く食事に行ったりしながら良い両親との関係を保つことが出来るようになった。

 

私は会社人間としてはまったく適応できない我が強い人間であったが、それでも会社からドロップアウトして個人として生きる道を模索した結果、今の幸せな自分がると納得している。

普通のサラリーマンのように多くのお金を稼げていないが、それでも自分が人生を楽しめるぐらいのお金を稼ぐことは十分に可能であり、まったくストレスがたまらないような仕事スタイルを確立することが出来た。

本当に友達とは生き方が違っており、昔の友達と付き合う回数は減ったが、現在はネットで知り合った同じ地域に住んでいるフリーランスの人とたまにお酒を飲みながら良い人間関係を作っている。

 

友達なんて本当に人生で1人か2人ぐらいいれば良いと考えるようになった。

自分のことを理解してくれる親友なんて本当にどれだけいるのか分かったものではなく、それほど人間関係にあくせくするよりは、自分にマッチした少数の友達を大切にすることが重要であると気付かされた。

社会不適合人間であるが、今後も自由なフリーランスとしてこの世の中を楽しく生きていこうと考えている。

一般的な人間の生き方に左右されることもなく、いつも自分らしくありたいと思っているところだ。

これが自分の人生なのだから、本当に自分はこの道を進んできて幸せだったと納得している